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<<昭和50年代の子供たちが大好きだったジャンパーの思い出>>

1970年代(昭和50年代)の小学生時代はジャンバーが大流行。 ポリエステルジャンバー/ナイロンジャンバー/ウインドブレーカー/スタジャンバー/Gジャンバーなどなど、ジャンバーのポケットに手を突っ込んで歩くのがいつも子供たちにとってかっこいいスタイルでした。 みんなが着ていたジャンバーやウインドブレーカーの思い出を語ります。皆さんはどんなジャンバーを着ていましたか?

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★ポリエステルジャンバー大好き娘13

中央は白のポリエステルジャンバーに短いスカートで下校途中の少女
左右はジャッシーや体育ジャンバーの子が並び、それほど寒くはないのだと思うが、チャック全部上げで着ている。
白いジャンバーだから汚しやすいが、見た感じ着古し感もないようだ。
もう少し寒くなると中綿入りのジャンバーを着たのかもしれない。

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★ポリエステルジャンバー小僧09 (昭和50年)

左の黄土色の中綿キルト入りポリエステルジャンバーは袖にゴム編みラインが入る。
袖が少し短くなっていてちょっと窮屈にも見える。
お気に入りで毎日着用したからかなり汚れも目立っていただろう。

左から2人目はツートンカラーの中綿キルト入りポリエステルジャンバーで左胸にワッペンが付く。
昭和50年ならこんなジャンバー小僧がみんなの人気者でクラスのファッションリーダーだ。
触り心地も最高でこちらも毎日愛用だ。
前身頃白い汚れがちらちら付いている。
袖口ゴム編み部分を左と比べると随分ゆとりがあり膨らんでいる。
中学生になってもこのジャンバーを着たかもしれない。

一番右はG ジャンバーだ。
こちらの方がかっこいいと思って着せる母親も多く、真冬はまったく保温性がなく手を入れることのできるポケットもなく地獄だった。
それでも右2の少年のようにジャンバー買ってもらえないよりはよかったかもしれない。

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☆ナイロンジャンバー少女20

〇ブランド…adidas
〇カラー…紺✖白3本線

最強でかつ最も洗練されていてかっこよくすべての見本であったadidas ADS200の紺ウインドジャンバー。
これが欲しかったのに、なぜか母親が買ってきたのはadiosだったり、adedassだったり、addossだったり、adventureだったり。。。

なぜこのシンプルなかっこよさを後発組が越すことができなかったのかわからないが、やはりadidasでないとダメだった。
小学生でこんなにブランドのことに関心を持ち、本物偽物の会話を行ない、男女ともに同じデザインの服を着るというのは、まさにこのadidasの力のすごさだろう。
そして結果的にそれまで子供たちのマストアイテムだったポリエスエルジャンバーが一挙に廃れていくことになる。

紺のadidasを愛用する喜久子。
それまで着ている服のことを「かわいい」とか「うらやましい」とか言われることはなかったが、このadidasのウインドジャンバーだけは別格だった。
とにかく学校中で一番かっこいいジャンバーだから、校庭に置きっぱなしにしたりすれば間違いなく盗まれてしまうアイテムだった。

喜久子がファスナーを上げている瞬間。
左右の金具をはめ合わせて、左で裾を持ち右手で金具を引き上げる。
ジャンバーのファスナーを首元まで上げるとき、ビュンと音を立てながら一気に上げるのが、子供たちにとって幸せの瞬間だった。
右手のポケットのファスナーが開いているが、直前まで右手をポケットに突っ込んでいたのだろう。


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◆ジャンバーヒストリー01 〔からすジャンバー〕

昭和40年代前半の主流だったナイロンのキルティング入りジャンバー
真っ黒が最も多く、一部濃紺や臙脂などもあった。
真っ黒でナイロンの艶があり、襟が異様に大きいこのタイプのジャンバーを「からすジャンバー」と呼んでいたようだ。
自分は小学校低学年のころお下がりでこんなジャンバーを着せられている友達がいたのを思い出すが、当然最盛期のことは覚えていない。
それまでは綿やウールの一枚もの(薄い裏地付き)ジャンバーが多かったから、このようにキルティング中綿を入れて、表側にそのステッチを出したこんなジャンバーは、温かい防寒服として少年少女の間に広まった。

襟が大きく、丈がハーフコートのように長く、チャックが裾から10センチ前後上から始まっている。
そしてそのためにチャックの下部がほどけて左右どちらかに引っ張られているパターンや、チャック下部が左右に外れ開いてしまい、無理矢理金具を下におろそうとして壊してしまうことが多かったようだ。

この少女もお気に入りのからすジャンバーで満面の笑顔だ。
周りはまだカーディガン姿なのにジャンバーで自慢げだ。

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◇ジャンバースカートお似合い少女01

小学生のころジャンバーと同じく関心が深かったのが女子のジャンバースカートだ。
姉もよく着ていたし、「ジャンバー」と称するところから興味を持ったのかもしれない。
「ジャンバー」とどんな関係があるのだろうか。
「ジャンバースカート」(ジャンパースカート)を調べると「ジャンパードレス」と言われていたのが語源のようだが、最初は前がファスナーで開く形になっているスカートのことをいうのだと思っていた。
しかし、実際は前部が胸当てになっていて、下にシャツやブラウスなど服を着たうえで、重ね着で穿くスカートをジャンバースカートというらしい。
従って袖があるものは異なり「ワンピース」という。
また、丈は膝よりも長いものを言い、丈の短いものは「サロペットスカート」と言っていた。
昭和の子供服では胸当て部に大きな刺繍が付くものが多く、なんとも乙女心をくすぐるアイテムだった。
また胸当て部に学校指定ビニール名札を付けた。
胸当て部は女子たちのアピールポイントだったが、汚しやすい部分であり大きなシミを付けている子もいた。
冬になると厚手セーターの上にジャンバースカートでへいチャラの子も多かった。

中央の女子も胸当てに大きな刺繍のついたジャンバースカートを穿いている。

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★ポリエステルジャンバー小僧08(昭和47年)

ポリエステルジャンバー小僧04(昭和47年)で登場した少年の後ろ姿。
白無地のちょっとゆったりした中綿キルト入りポリエステルジャンバーはとても温かそうだ。

腰部がゴム編みできゅっと締まり背中部分がふわっと膨らむのが僕は無性に好きで、思わず触ってしまうことが多かった。
すれ違いざまに触ったり、肩を組みながら触ったり。
こんな白系のジャンバーだと前身頃は食べこぼしのシミでベタベタになっていることもあったが、背中は大体きれいだった。
ウインドブレーカーみたいに腰部のゴム編みがないジャンバーやスタジャンバーのように生地がゴワゴワしていて膨らみがない、さらさらしていないジャンバーは、触り心地が良くないので当時あまり好まなかった。

右のカーボーイハットをかぶった少年は紺の中綿キルト入りポリエステルジャンバーを着ている。
前胸部から背中にかけてゴム編みのアクセントラインが入るこのデザインは、初期のポリエステルジャンバーのデザインによく採用され、昭和52年頃までよく見られたように思う。
背中部分が切れているものとつながっているものがあったが、いずれにしても当時でもダサいデザインだった。
胸部ゴム編みは写真のように最初は生地と同色の毛糸のパターンが多かったが、だんだんスポーティなデザインが登場すると、違う色の毛糸を違ってアクセントとするものもあった。
学校指定名札を付ける時、このゴム網部分に安全ピンを刺すことで、生地のボツボツ穴を避けることができるというメリットはあった。

アーノルドパーマーのジャンバーでもこのゴム編みラインが多用されていた。
また、ゴム網部分が異常に太いデザインはよりダサさが増した。



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★ポリエステルジャンバー小僧07

紺の中綿キルト入りポリエステルジャンバーを着る兄
左胸に英文字の刺繍が入るがシンプルな無地のジャンバーだ。
剛編みの白2本線がアクセントになっている。
紺1色のジャンバーは最もオーソドックスで、お出かけ着として着用できることと、飽きがなく、また最大のメリットは汚れが目立たないことだ。
だから近くでよく見ると意外とシミだらけだったりすることも多かった。
野球帽はヤクルトスワローズのものでジャンバーとよくマッチしている。

左の妹は赤のプルオーバーに大きな刺繍のついたGパンタロンを穿いている。
今ではほとんど見ることのないこんなGパンタロンも昭和の良き思い出だ。
どうせなら妹もポリエステルジャンバーを着ていたら可愛かったと思う。


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◎習字授業でジャンバーを汚しちゃった思い出01

習字の授業(「書写」とか「書き方」とか言っていたが今でもあるのだろうか)で真剣な顔で筆を運んでいる少女。
赤の中綿キルト入りポリエステルジャンバーを着ている。
左胸にはバラ?の大きな刺繍が付き、大きな水滴型金具のチャックを8割上げで着ている。
袖口や裾腰部のゴム編みラインがアクセントになっている、
胸部にはシミを付けているようにも見えるが、とても温かそうで気持ちのよさそうなジャンバーだ。

ジャンバー好きの子供たちは外遊びの時だけでなく授業中でもそのまま着ることが多かった。
しかし習字の時間はどうしても利き手の袖口を中心に墨汁で汚してしまいがちだった。
ポリエステルジャンバーの袖口はふわっとしており、またポリエステルの生地が汚れをすぐ吸い取ってしまうので、意識しないうちに袖の下が真っ黒になっていたりした。
敏感な女子だと習字や図工の時間、特に版画や絵の具を使うときは、ジャンバーを脱いだり腕まくりをして汚れるのを防いだ。
また、母親に習字の時は脱ぎなさいと厳しく言われていたり、習字の授業がある日は古いジャンバーやトレーニングジャンバー(ジャージ上着)を着せたりしたが、それでも新しいジャンバーに墨汁のシミを付けてしまい、帰宅して怒られた経験は誰でもあったのではないか。
僕もおニューのジャンバーの袖口に大きな墨汁のシミを付けたことがあって、なるべくばれないように家の玄関前でジャンバーを脱ぎ、手提げかばんの中に丸めて隠しておいて、翌朝の出かけるときにサッと着て家を出たこともあった。

この子はお気に入りのジャンバーを汚さないて保つことができただろうか。

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★ポリエステルジャンパー大好き娘12

学校指定のジャッシーの上にジャンバーを着る少女

左は赤✖白3本ラインのナイロンジャンバーだが、ツルテカで前部ファスナー裏部が太く、明らかにまがい物だ。
それでも本人としてはお気に入りで、それほど寒くい日でも自慢気に着ている。

一方、右は紺✖赤ツーロンカラー中綿キルト入りポリエステルジャンパーを颯爽と着こなす少女。
表地はつるつるした感じのポリエステルでもしかするとナイロン100%だったかもしれない。
襟袖口裾腰にはゴム編みがピタッとフィットする。
左胸には英文字の刺繍が入る。
自分は左のまがい物デザインより右のタイプのジャンバーを好んだが、実際に着ている彼女からすればみんなが着ている3本線の方がよかったのかもしれない。
それでも逆にこちらの方が大人っぽくも見え、目立ち、当然温かいこのジャンバーをお気に入りで着ている雰囲気だ。
こんなジャンバーを着ている子はきっとスポーツ大好きな快活少女だったと思われる。
少々寒くても北風の中でジャンバー着てドッチボールに明け暮れていたに違いない。
中学生になってこんなジャンバーを着た女子と2人で遊びに行ったら楽しかっただろう。


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☆ナイロンジャンバー少女18(昭和53年)

〇ブランド…adidas?
〇カラー…白✖袖紺3本線

右は白のウインドジャンバーを着る少女

めくれていて見えないが質感や3本線のデザインでおそらくadidas正規物と思われる。
少し透けるタイプの薄さで、前ファスナーの見える部分がまがい物に比べて少ない(細い)。
白のジャンバーだから内側に着るグリーンのセーターと相性がよい。
その下に着る白のブラウスは両襟が飛び出していて、ザ昭和ルックだ。
流行最先端のジャンバーを買ってもらって屈託のない笑顔で友達と写真に収まっている。
快活な少女にジャンバーやGパンタロンがよく似合う。

左は白(薄桃色)のポリエステル(又は綿素材)のジャンバーだ。
見た感じ1枚もので中綿がないタイプか。
やはりセーターの上に羽織っている感じだ。
ちょっとおしゃれなプリント地のスカートを穿いている。
本当は右の友達のようなウインドジャンバーを欲しかったのかもしれないが、まだまだこのジャンバーで頑張ってほしいと思う。

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◎レタードワッペン付のかっこいいジャンバー01

昭和50年代前半ならば、こんな中綿キルト入りポリエステルジャンバーを着る少年が最高にかっこよかった。
ツートンカラー(朱色✖白と思われる)にゴム網には白2本ライン、左胸にはEの大きなレタードワッペン、白のプラスチックファスナー、そしてはっきりと見えないが左右の肩から袖口までパイピングライン(細い盛り上がったライン)がアクセントとなり付く。
左右のポケットは白のファスナー開閉式だ。
カッコイイ要素を最大限取り込んだジャンバーで、カラーで見られないのが残念だ。
この数年後に大流行となる変なスタジャンバーより全然かっこいい。

5年の頃、まさにこのジャンバーを着るおしゃれなクラスメートがいた。
11月後半勤労感謝の日くらいだったと記憶するが、最初にこのジャンバーで教室に入ってきたときはセンセーショナルだった。
4年まで彼と違うクラスだったのでどんなジャンバーを着ていたのか僕は知らないのだが、それまで見たことのないかっこいいジャンバーだと思った。
休み時間に彼を探すと、ポケットに両手を突っ込んで机の上に座って駄弁っていて、思わずそばに見に行ったのを覚えている。
しかし2月の中旬くらいか、Eのかっこいいワッペンがボロボロになり、自分で剥がしてしまってから、2~3回は見たもののそれ以降残念ながら学校には着てこなくなってしまった。

土曜の午後にこのジャンバーで近所の駄菓子屋にいるのを見かけたのが最後だったか。
でも最高にかっこよくてうらやましくてあこがれのジャンバーだった。
当時やっぱりあそこまで鮮明な赤衣服を着るのには抵抗があった。
彼の母親はレモン色のカーディガンや白と赤の2色のズボンや、うちの親が絶対に勝ってこないような鮮やかな色を彼に着せていた。

写真の少年に話が戻すが、彼もきっと自分自身かっこいいジャンバーだと思って、お気に入りだったに違いない。
モノクロではっきりわからないが胸部にはかなりシミを付けているようにも見える。
そういえばクラスメートの彼も胸元や袖口をベタベタに汚しまくっていた。

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◎昭和の遺物となったVネックヤッケジャンバーとサファリ-ジャケット

赤のナイロンVネックヤッケを着る少女
左胸には大きな刺繍が付く。
ナイロンのペラペラVネックヤッケは昭和50年~51年が最も流行した時期で、その後ウインドジャンバーの出現で急激に姿を消すことになる。
原色1色で刺繍があるかないか程度のデザインバリエーションだったし、かぶって脱ぎ着するのが超面倒くさかった。
しかもパリパリと静電気がすごくて髪の毛は逆立った。
それでもツルテカの発祥のようなこの服を買って着させる親は多かった。
ジャンバー上着というよりセーター代わりに今で言うインナーとして内側に着るのにはぴったりで、特に制服ブレザーのある学校だと制服の内側に着せたりしたようだ。
風は防ぐが首元が広く開くので風が入り込み防寒性や保温性はなかった。
さらに最大の難点はジャンバーに必需品の切り込みポケットがないことで、真冬にこのヤッケしか持っていない子は見るからに寒そうで地獄だった
体育授業では薄くて便利だったし、遠足でもリュックの中に押し込むのも簡単で重宝されたが、リピーターとしてサイズが小さくなったから2枚目を買ってもらうというケースはほぼなかったと思われる。

右の少年はこれも昭和スタイルのサファリ-ジャケットだ。
襟が大きく、これまた大きなポケットが左右の胸部と腹部に4箇所付き、腰部はベルト化ゴムのギャザーで締まっていて、裾は微妙な感じで長い。
色はこんなカーキ色や黄土色または白や水色などが多かった。
こちらも防寒性はないし意外と動きづらいのだが、男子の母親がかっこいいと思って着せるケースが多く、特に「お出かけ服」として休みの日に親と一緒に外出するようなときに着ることが多かったし、卒業式でも見かけたものだ。

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★ポリエステルジャンバー大好き娘11

中綿キルト入りポリエステルジャンバーを着る少女
胸に刺繍のあるお気に入りのジャンバーを秋冬はいつもこうして羽織っていたのだろう。
当時の女の子たちのなかにジャンバーといえば雪が降ったり本当に寒いときだけ防寒着として学校に着てくる(着せられた)子と、普段着として毎日の通学でも家でも、お稽古事行くときも、そろばん塾行くときも、銭湯行くときも、いつもジャンバー姿だった子がいた。
高学年になると周りが着たいものを着るようになり、真冬でも安ブレザーや厚手セーターの子も多かったが、このようにジャンバー姿の女子がなんとも愛おしかった。

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◎冬の朝礼でジャンバーは必需品だった01

冬の校庭での朝礼ではジャンバーが必需品だった。
ポリエステルジャンバーやナイロンジャンバーの最盛期は校庭が色とりどりの服を着た児童たちが、校長先生の話をじっと聞いていた。

紺の中綿キルト入りポリエステルジャンバーを着る少年。
右前の子少年は混んで少し青緑系のように見える。
シンプルな無地のジャンバーでゴム編み部分のラインがアクセントになっている。
Gパンタロンはラッパ型(ベルボトム)で裾が広くなっている。
膝小僧部分は薄くなっているが穴が開いてはいないようだ。
見るからに「ザ・昭和の少年」という感じだ。
左奥は紺色で左胸に英単語刺繍の入るジャンバーでやはりゴム編みラインがアクセントになっている。
ジャンバーを着ているとついつい両手をポケットに突っ込んでしまい、よく後ろから寄ってくる先生に頭を小突かれたが、二人の少年はしっかり手を出している。
両方ともに少し小さくなってきて下にカーディガンやセーターを着るとちょっと肩回りが窮屈だったかもしれない。
新しいジャンバーを買ってもらうまでは毎日このジャンバーで走り回っていたのだろう。

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★ポリエステルジャンバー大好き娘10

赤の中綿キルト入りポリエステルジャンバーを着る少女
左胸には刺繍があったかもしれないが学校指定ビニール名札を付けていて確認できない。
当時多くの学校は縦型または横型のこうしたビニール名札を付けるのが校則で決まっており、安全ピンで左胸に付けたので、ワッペンや刺繍の上に付けてしまう子も多かった。
そして毎日付けたり外したりしたので、ピン痕のボツボツ穴がいっぱい開いていた。
右袖をよく見ると、肩から袖口に細いパイピングラインが付いているようだ。
昭和51年頃よりスポーティなデザインを狙ってこうしたライン入りのジャンバーが目立つようになった。
体育ジャージの多くがこうした袖にラインがあったこともその影響だと思う。
こんなジャンバーを買ってもらった彼女はお気に入りで冬は毎日着用したのだろう。
下にはジャージかスウェットのようなパンツを穿き、長靴を履いているので雨か雪の日だったのだろう。

右は上下セットになっているパジャマのような服を着る少女が写っている。
やはり左胸に学校指定ビニール名札を付ける。
上下セットで着たり、バラバラで組み合わせて重ね着を楽しんだりしたのだろう。
この少女も早く温かいジャンバーを着せてあげたい。

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◎スタジャンバー主流の時代でポリエステルジャンバーで頑張る少年

元気なジャンバー少年たち
すでに昭和58年だと主流はスタジャンバーだ。
ウール素材でスナップボタン留めのスタジャンバーは子供たちにとってもマストアイテムだった。一番左は紺無地で両肩部に人工皮革又はウールの切り替えのアクセントが入るオーソドックスなデザインだ。
中央は白✖紺のツートンカラー、ラグラン袖では基本袖なので肩の付け根から紺色の袖がついている。
袖口や腰裾部は二本線のゴム編みが付き、北風の侵入を防ぐ。
中央は濃グレーと薄グレーのツートンカラーで大きなWのレタードワッペンが付くスタジャンバーで、クラスのファッションリーダーだ。
スタジャンバーは大人が着ているものと何ら変わらない縮小コピーのデザインが多く、大人っぽい洗練されたデザインではあるものの、子供服のデザインを失ってしまった。
しかもやや重く、ゴワゴワした生地もあり、汚れにくい反面表面が剥げたり、芝生の上で遊ぶと芝だらけになったりと子供の遊び着としてはいま一つだった。
ジャンバーが必需品の遠足などでも、リュックに丸めて入れることができず、かさばって邪魔だった。

そんな中で一番右はまだまだ中綿キルト入りポリエステルジャンバーで頑張っている少年だ。
ゆったりしているので今シーズン買ってもらったものだろう。
既に洋品店でもスタジャンバー中心の品ぞろえになっているので、在庫品で残っていたのか、またはお下がりかわからないが、当時こんな流行遅れのポリエステルジャンバーを着る子供たちがどんどん少なくなってきて、それが残念だった思いがある。
10年前ならこんなジャンバーを買ってもらったら嬉しくてたまらなかったのに、そして得意になって着ていたのに、この時代だと女子たちも「ダサイジャンバー」と見てしまったのだろう。
本人は左の友達のようなスタジャンバーを着たかったのか、自分と同じくポリエステルジャンバー派だったのかわからないが、まだまだこのジャンバーが真っ黒になるまで着こなしてほしい。

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☆ナイロンジャンバー少女17

〇ブランド…ノーブランド
〇カラー…紺✖袖白3本線

ツヤテカで胸刺繍のない左袖3本線の入ったナイロンジャンバーを嬉しそうに着ている
ファスナー全部上げで腰ひもはきっちり結んでいる
家を出るときに母親が結んでくれたのだろうか?
袖部分の質感を見ると中綿キルティング入りと思われる。
まだ中学年ぽい雰囲気で、スポーツブランドもわからないし、こだわりもなかったかもしれないが、こんなダサかわいい少女が愛くるしかった。

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☆ナイロンジャンバー小僧05

〇ブランド…ノーブランド(CALIF. SPORTS CLUB)
〇カラー…紺✖袖白3本線

様々なバリエーションがあった左袖3本線のナイロンジャンバーだが、このブランドは見たことがない。
CALIF. SPORTS CLUB
いかにも当時のアメリカ志向やローマ字志向の世相を表した言葉だ。
ジャンバーの胸には子供にとっても大人にとっても意味の分からない横文字が並んでいた。
でも英語が書いてあればかっこいいという雰囲気だった。

この少年は本当は adidas を着たかったのか、それともファッションに無頓着だったのかわからないが
きっと他に着ている友達はいなかっただろうから、毎日ご自慢のジャンバーだったのかもしれない。
内側には橙✖黒のトレーニングジャンバーを着ている。

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