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<<昭和50年代の子供たちが大好きだったジャンパーの思い出>>

1970年代(昭和50年代)の小学生時代はジャンバーが大流行。 ポリエステルジャンバー/ナイロンジャンバー/ウインドブレーカー/スタジャンバー/Gジャンバーなどなど、ジャンバーのポケットに手を突っ込んで歩くのがいつも子供たちにとってかっこいいスタイルでした。 みんなが着ていたジャンバーやウインドブレーカーの思い出を語ります。皆さんはどんなジャンバーを着ていましたか?

☆ナイロンジャンバー少女20

〇ブランド…adidas
〇カラー…紺✖白3本線

最強でかつ最も洗練されていてかっこよくすべての見本であったadidas ADS200の紺ウインドジャンバー。
これが欲しかったのに、なぜか母親が買ってきたのはadiosだったり、adedassだったり、addossだったり、adventureだったり。。。

なぜこのシンプルなかっこよさを後発組が越すことができなかったのかわからないが、やはりadidasでないとダメだった。
小学生でこんなにブランドのことに関心を持ち、本物偽物の会話を行ない、男女ともに同じデザインの服を着るというのは、まさにこのadidasの力のすごさだろう。
そして結果的にそれまで子供たちのマストアイテムだったポリエスエルジャンバーが一挙に廃れていくことになる。

紺のadidasを愛用する喜久子。
それまで着ている服のことを「かわいい」とか「うらやましい」とか言われることはなかったが、このadidasのウインドジャンバーだけは別格だった。
とにかく学校中で一番かっこいいジャンバーだから、校庭に置きっぱなしにしたりすれば間違いなく盗まれてしまうアイテムだった。

喜久子がファスナーを上げている瞬間。
左右の金具をはめ合わせて、左で裾を持ち右手で金具を引き上げる。
ジャンバーのファスナーを首元まで上げるとき、ビュンと音を立てながら一気に上げるのが、子供たちにとって幸せの瞬間だった。
右手のポケットのファスナーが開いているが、直前まで右手をポケットに突っ込んでいたのだろう。


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