忍者ブログ

<<昭和50年代の子供たちが大好きだったジャンパーの思い出>>

1970年代(昭和50年代)の小学生時代はジャンバーが大流行。 ポリエステルジャンバー/ナイロンジャンバー/ウインドブレーカー/スタジャンバー/Gジャンバーなどなど、ジャンバーのポケットに手を突っ込んで歩くのがいつも子供たちにとってかっこいいスタイルでした。 みんなが着ていたジャンバーやウインドブレーカーの思い出を語ります。皆さんはどんなジャンバーを着ていましたか?

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


〇ジャンバーのポケットに両手を突っ込むのがかっこよかった時代01

校庭での学年合同集会か。
低学年の子に混じって体の大きな高学年の男子がいる。
女の子たちは春っぽい服装、しかも手前の子はシャツを腕まくりしているのに対して、
ツートンカラーの中綿キルト入りポリエステルジャンバーをチャック全部上げで、
しかも両手をポケットに突っ込んでいる。
昭和50年代はいつもジャンバーのポケットに手を突っ込んでいるヤツがなぜかかっこよかった。
モノクロで不鮮明だが胸元やポケット突き出し部分にはシミが付いていただろう。

拍手[0回]

PR

◎ポリエステルジャンバー姿の姉が大好きだった04

赤の中綿キルト入りポリエステルジャンバー
白いファスナーと、白に紺と赤のラインが入ったゴム編みがアクセントになっている。
さらに胸にはかわいい女の子の大きめ刺繍が付く。
当時としては最高にかわいいジャンバーだ。
学校では色違いを着る子がいて、黄色、青、緑などがあって同じように白ファスナーだった。
温かみがあってとてもご自慢のジャンバーだった。
でもこのジャンバーの写真は1枚だけだ。

下には赤のパンタロン。
赤のジャンバーに赤のパンタロンなんて、今なら典型的なダサいファッションだ。
しかもよく見るとジャンバーの下も赤を着ているようで、左右袖口の白いゴム編みの下から赤い袖口が飛び出している。

拍手[3回]


☆ナイロンジャンバー少女23 (るみこ)

〇ブランド…ノーブランド刺繍なし
〇カラー…紺✖袖白3本線

中学の制服の上から着用して通学できるよう紺のナイロンジャンバーを買ってもらったるみこ
友達が皆着ているデザインのジャンバーをやっと買ってもらっていつも愛用だった。
当時流行の左袖3本線が付いているが、左胸には刺繍がなくなんか寂しい
学生だからファッションにも関心があって、本当はadidasが欲しかったけれど、母親が買ってきてくれたジャンバーだから文句言わずに着た。
ファスナー一番上まで上げても左右のスタンド襟はぴたっと閉まらず、北風が首元から入ってくる

弟は安物の体育ジャンバーしか持っておらず、それに比べたらありがたかった。

こんな素朴な少女が大好きだった。



拍手[3回]


☆ナイロンジャンバー小僧06 (PUNCH)

ブランド…PUNCH
〇カラー…紺✖袖白3本線

胸はPUMA第三世代の刺繍が付くが、左袖はadidasの象徴白3本線
これぞ究極のパロディであるPUNCHのナイロンジャンバーだ。
よく見えないがPUMAではなくてPUNCHになっている。
おっかさんはかっこいいと思って買ってきたのだろうが、学校ではかなりからかわれたと思われる。

左の裾ひもを思いっきり引っ張り、右側のファスナー部分はほつれて裂けている。
まがい物はファスナーがやや上から始まっているので、このように下部が避けてしまったものを多く見かけた。

拍手[2回]


〇授業中でもポリエステルジャンバー01

青✖白ツートンカラーの中綿キルト入りポリエステルジャンバーを着る少年
チャック全部上げで左からは下に着るシャツ(ジャッシー?)の襟が飛び出している。
左胸に英文刺繍が付きその上に学校指定ビニール名札を付けている。
よく見るとその名札の淵に墨汁かあるいはまさに直近で版画のインクを付けてしまったのか黒く汚れているのがわかる。
そのちょっと上、ジャンバーに汚れが見られ、右胸部分も汚れが付いている。
実際にはかなり汚れていたと思われる。

今の小学生たちもこんな版画を作ったりするのだろうか。
インクをジャンバーにベタっとつけるとさすがにショックだったな。

拍手[0回]


◎ポリエステルジャンバー姿の姉が大好きだった03

ピンク✖袖クリーム色のツートンカラーの中綿キルト入りポリエステルジャンバーを着る姉
胸刺繍はラケット、袖口や裾のゴム編みは3色ラインだ。
光沢のないやわらかいポリエステルの表布は中綿キルティングとの組み合わせでやわらかくふわっとした感触で触り心地が最高だった。
半面、シミができやすく、春になると胸元や袖口がシミでベトベトになったジャンバーを多く見かけた
転んだのかパンタロンの膝には土がついている

拍手[1回]


〇真冬でも半ズボンで頑張るジャンバー少年02(K校1年/昭和54年)

真冬でも半ズボン着用を奨励していたK校1年生のスナップ
左に立つ少年はシャツにVネックセーターに紺無地の中綿キルト入りポリエステルジャンバーを着ている。
チャックは閉めていないので、本当に寒い日ではなかったかもしれないが、下は短い半ズボンとソックスにズック靴だ。

後列左1の少年は体育ジャンバーに半ズボン
体育ジャンバーだから保温性はなく、半ズボンは隠れて見えないくらい短い。
真冬でもこんな格好で飛び回っていた。

拍手[0回]


〇沖縄にもいたジャンバー好きの少年少女01

沖縄の子供たちもジャンバーを着ていたとは正直思わなかった。
高校生いや社会人になってからも、沖縄は真冬でも温かくてジャンバーなんて誰も着ないと思っていた。
子供ながらのおぼろげな記憶だが、正月に宮崎に旅行で連れて行ってもらったことがあった。
人一倍ジャンバー好きだった僕がその時にジャンバーを着ないで平気だった覚えがある。
きっと沖縄はもっと温かくて、子供たちはジャンバーなんて着たことがないんだろうなあと勝手に考えていた。
大人になってから沖縄出身の友達に聞いたら、「沖縄の子供たちも冬でも半ズボンの子は多いけどジャンバーは着ていたよ」と教えてもらった。
また、「一年のほとんどが半そでTシャツだったから、寒くなくても冬の気温が低い日や風が強い日にジャンバーを着るのがかっこよく見えた」と聞いた。
本州に住む僕たちと同じだった言うことがわかってうれしかった。
その後、アルバムを見せてもらうと、たしかに半そでシャツの子供たちの中に、下は半ズボンでも上にはジャンバーを着ている少年が混じっていて、そんな彼らはジャンバー愛好家だったんだろうなと感じた。

左1の少年は胸元に英単語の刺繍がある中綿キルト入りポリエステルジャンバーで、チャックは7分上げ。
左2の少年は体育ジャンバーで両袖は腕まくり
左3の少年は中綿キルト入りポリエステルジャンバー。左袖は腕まくりしながらもジャンバーは着たいという感じか。いつも腕まくりしていると袖口ゴム編みは伸びちゃったかもしれない。右前のめくれている部分は白く色が変わっているが中綿キルティングの部分と思われる。
右1の少女は薄手のカーディガンか。
いずれも下は半ズボン(ショートパンツ)で短いソックスかハイソックスで太ももはばっちり出ている。
それほど寒い感じには見えないが、こんなジャンバーを着るのが楽しみだった子供たちも多かったのだろう。

拍手[4回]


〇冬の凧揚げでもジャンバーが大活躍(昭和59年)

もう今ではほとんど見ることがない凧あげ
北風の中をジャンバーに身を包んだ少年たちが広い河原や校庭を駆け回っていたものだ。
電柱に引っかかって取れなくなった凧を毎シーズン見かけたものだ。

光沢のあるポリエステルジャンバーに野球帽で凧揚げする少年
今シーズン買ってもらったと思われるゆったりサイズだ
昭和59年だからナイロンジャンバー(ウインドジャンバー)やスタジャンバーの流行も一段落
ポリエステルジャンバーはかなり少数派だったと思うけれど、ご満悦で着用だ
子供たちにとって北風を防いでくれる袖口のゴム編み(リブ)や軽くて動きやすいところが何よりありがたかった。

拍手[3回]


▼スタジャンバー大好き少女04(あけみ)

スタジャンバー大好きだったあけみ
友達と校庭をワイワイ大声ではしゃぎながら飛び回っている。
後ろには竹馬を持つ子がいる。
手前には同じくスタジャンバーからパーカーのフードを外に出して、当時の女子の最先端ファッションで遊ぶ子もいる。
あけみはシンプルなツートンカラーのスタジャンバーでいつもと同じく裾部の2つのボタンを留めていない。
下にはスウェットパンツと白のハイソックスで快活少女そのものだ。
両手はジャンバーの袖口ゴム編みが隠れるまで手袋をしているので空気はかなり冷たかったのだろう。
汗っかきのあけみだったから、ジャンバーの内側の服は汗でぐっしょりだった。

拍手[1回]


〇真冬でも半ズボンで頑張るジャンバー少年01

昭和50年代は夏はもちろんのこと真冬でも半ズボン少年がちらほらと見られた。
小5にもなるとぐんと数は減少したが、それでも雪国でなければクラスに1~3名程度はいたものだ。
自分の学校では冬でもノースリープシャツ(タンクトップシャツ)に半ズボンという真夏と全く同じ格好の男子もいた。
たくましい太ももをはいかにも寒そうに見えるが、逆に上にジャンバーを着ていればへいチャラという感覚だった。

この少年のジャンバーはサテンのグランドジャンバーだ。
プロ野球などでも当時このスタイルのジャンバーを「ウインドブレーカー」と呼んでいた。
投手が塁に出たときにジャンバーを着ることができるので、当時の野球少年はmizunoやzettから発売されていたこのタイプのジャンバーを好む子も多かった。
紺✖白、青✖白、水色✖白、赤✖白、臙脂✖白、橙✖白、紺✖赤などのパターンが多かったように思う。

拍手[2回]


★ポリエステルジャンバー大好き娘16(昭和53年)

赤✖白のツートンカラーで両袖肩から袖口まで2本ラインが入ったかっこいいジャンバーを着る少女。
左胸に刺繍の入った中綿キルト入りポリエステルジャンバーは冷たい北風が吹くこの地域では欠かせないアイテムだ。
下に着るチェックのブラウスの襟を飛び出しさせている。
いかにも快活少女で冬でもこのジャンバーで飛び回っていたのだろう。

左足に大きな刺繍の入るパンタロンも少女たちの人気おしゃれアイテムだった。
彼女の履く上履きシューズも懐かしい。
ゴム部分に黒マジックで名前を書いた。
その名前が見えなくなるほど真っ黒に汚れるまで履かされた覚えがある。

拍手[0回]


★ポリエステルジャンバー大好き娘15(昭和53年)

赤の無地に両袖に白2本パイピングラインが入ったスポーティな中綿キルト入りポリエステルジャンバー
この少女はもうすぐ小学校卒業を迎える。
ジャンバーの袖口白いゴム編み部分を見ると、かなり「つんつるてん」で、内側に着る服が大きくはみ出している。
内側にカーディガンやセーターを着たらかなり肩回りが窮屈だっただろう。
きっと4年生頃から大事に毎日愛用したジャンバー、チャック全部上げでご満悦だ。
中学になれば学校への着用ができないので、今シーズンで最後だろう。
当時は少々小さくなってもシーズン最後までそのまま着せる親も多く、子供たちも文句も言わず着ていたものだ。
不鮮明でよくわからないが右袖口2本のラインの間が白く汚れているのと、右のポケット部分に白い線が入っているのは(左にはない)右のポケット入れ口が破れてしまったのではないかと推定される。

こんな両袖のちょっと盛り上がったパイピングラインは昭和51年頃から出始めたと記憶している。
ジャージやジャンバーで広く使われて、子供たちのスポーツ心をくすぐった。
友達がこんなライン入りのジャンバーを着てきたときに、僕も欲しくてたまらなかった。

拍手[0回]


☆ナイロンジャンバー少女22

〇ブランド…adios mi amigo
〇カラー…赤✖袖白3本線

かわいいツインテールお下げ髪の少女、りかこ。

お気に入りのナイロンジャンバーは左胸に2段の英文字が並ぶ adios mi amigo だ。
直訳すると「さようなら、私の友人(恋人)よこんな」といった熱いスペイン語のメッセージを受け取った男子はいたのだろうか。
adidas に音が近いから採用したのかと思うが、快活少女りかこがデートの時にこんなジャンバーを着ていたらドキッとしただろう。
左袖白3本線はやや肘側、前ファスナーは白い部分が明らかに太い。
ファスナー全部上げでフードが格納されたスタンド襟は左右に開き気味で首元からは冷たい空気が入ってきただろう。
前に垂らしてお下げ髪にはちょんまげ髪飾りを付けて、なお可愛い!

拍手[18回]


◇ジャンバースカートお似合い少女02

昭和の少女たちが愛したジャンバースカートは本当にかわいい。
胸当て部分には大きな刺繍が付き、学校指定ビニール名札を付けている。
このジャンバースカートは青緑色のカラーがなんとも昭和っぽくて素敵だ。
上に赤や黄色のポリエステルジャンバーを羽織ったらもう最高だ!

右2人の吊りスカートもいかにも昭和。
そして3人のズック靴と白ハイソックスがこれまた輝きを増す。
左の2人が履くズック靴は白で中央部がU字型のゴムになっているもので、男子女子ともにみんなが履いていたものだ。

拍手[4回]


☆ナイロンジャンバー少女21

〇ブランド…adventure中綿入り
〇カラー…白✖袖赤3本線

白のadventureは女子に大人気

小学生女子にとってはadidasよりもツルテカで光沢のあるadventureのほうが人気があった。
白✖赤や赤✖白、薄桃✖白などが少女たちのお好みで、特にadidasにはない薄桃を着ている姿は本当にかわいかった。
また、ペラペラの保温性のない「ウインドブレーカー」でなくて、内側にキルト中綿を入れて「ナイロンジャンバー」にしたのが成功だった。
母親たちは人気のデザインでも雪が降る日本の冬でペラペラものでは不安だった。
実際スポーツするときにジャージ上着の上に着用するのがそもそもの「ウインドブレーカー」だ。
それまで何万枚ものポリエステルジャンバーを製造してきた縫製メーカーが作ったのがこのadventureのジャンバーで、だからキルト中綿入りとなっている。

adventureの特徴は
・左袖3本線が肘寄り(この写真では見えない)
・ファスナー留め金具が裾部より5センチ以上上から始まる
・キルト中綿入り(薄い1枚ものもある)
・左右ポケットがハの字で角度があり他のものより上に付く
 (手が入れにくい?と思われる)
・スタンド襟がadidasより横に開いている(この写真では見えない)

お気に入りのadventureジャンバーでファスナー全部上げで嬉しそうにハーモニカを吹いている。
adventureも懐かしいが、ハーモニカも超懐かしい。
いまの子供たちも小学校で吹いているのだろうか?
白のジャンバーで特に中綿入りだから前身頃や袖口、そしてポケット入れ部周りやスタンド襟の裏側が黒ずむことが多かった。
この少女はまだそれほど汚していないようだが、彼女の左袖はやや薄汚れているようにも見える。
小学校低学年だからいずれは真っ黒にしたのだろう。
ほとんど使うことのない腰ひもも抜けていないで付いている。
あらためて正面から見ると、ハの字のポケットやケチったとしか思えないファスナーが上から始まっている部分などがダサすぎる。

拍手[5回]


★ポリエステルジャンバー大好き娘14

温かそうな中綿キルト入りポリエステルジャンバーを嬉しそうに着用する少女
昭和50年頃でポリエステルジャンバーの黄金期だ。
左胸には女子が喜びそうな刺繍が付き、袖口や裾は冷たい風を防ぐゴム編みがアクセントになっている。
触り心地もさらさらで最高だっただろう。
こんなジャンバーがあれば寒い冬でもへいチャラだ。
学校に着ていった初日には周りの友達から「かわいい」「いいなあ」と羨ましがられただろう。
「着せてぇ」と言って袖を通してしまう子もいて、密かにそんな光景が羨ましかった。

拍手[2回]


▼スタジャンバー大好き少女03(あけみ)

あけみはツートンカラーのスタジャンバーがトレードマーク
冬でも公園や校庭を男子とともに駆け回っていた。
この日もスタジャンバーのボタンをした2つ外して上まで留めて、下はスウエット姿で男子と竹馬遊びや鬼ごっこで大騒ぎ。

後ろのダウンブルゾンの少女、白のこんなブルゾンであけみと遊んでいたら相当汚れたと思われる。
前身頃ファスナー周りは既に汚れているように見える。

拍手[1回]


▼スタジャンバー大好き少女02

昭和60年の小2女子
当時小中学生で大流行のスタジャンバーを着ている。
昭和55年頃より中高生の間で本格的に流行り始めたスタジャンバーは、もともとアメリカのアイビールックで大学生がキャンパスで着ていたものらしい。
日本の小学生たちは昭和53年頃までの冬の代表的なユニフォームだったポリエステルジャンバーから、ペラペラでadidas3本線のまがい物だらけのナイロンジャンバー(ウインドジャンバー)に流行が移り、それからスタジャンバーが登場すると女子を中心にそれを着るのが憧れとなった。
ウール生地のスタジャンバーは芝生の上で転がると後が大変、シミがつきにくいが意外と汚れたり、動き回って汗を含むと洗濯しにくくて汗臭くなったりしたものだ。
かさばるので丸めて手提げに入れることもできず、意外と重たくゴワゴワするのも嫌だったし、何より触り心地が悪くて友達のジャンバーを触ることも少なくなった。
当時1,500円~2,000円程度のポリエステルジャンバーの2倍以上、5,000円程度のものも多く、子供服としてはかなり出費がかさんだと思われる。
もっとも女子が好んだオーバーは8,000円とかするものもあったからそれよりは安価だったが。
この少女たちは小2でも母親と一緒にデパートに行って自分の好みで選んだって感じだ。

左は赤で肩に白の切替アクセントが付くが、ワッペンを見るとなんどJPRESSっぽいものでびっくりだ。
高校生や大学生のころ、きっと10,000円以上のJPRESSのスタジャンバーをそれこそ自慢げに着ている奴がいたが、小2でこんな大人っぽいジャンバーを着ていて、汚したりしたら怒られて、ジャンバー着て外遊びもしないで、ボロボロになるまで着るわけではなく、子供の普段着というよりお出かけ服だった。

拍手[2回]