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<<昭和50年代の子供たちが大好きだったジャンパーの思い出>>

1970年代(昭和50年代)の小学生時代はジャンバーが大流行。 ポリエステルジャンバー/ナイロンジャンバー/ウインドブレーカー/スタジャンバー/Gジャンバーなどなど、ジャンバーのポケットに手を突っ込んで歩くのがいつも子供たちにとってかっこいいスタイルでした。 みんなが着ていたジャンバーやウインドブレーカーの思い出を語ります。皆さんはどんなジャンバーを着ていましたか?

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★ポリエステルジャンバー大好き娘09

ジャンバー姿の3人娘

中央は中綿キルト入りポリエステルジャンバーにジャージズボンを穿く。
赤のジャンバーは肩から袖に白の太いラインが入り、スポーティでかっこいい。
首元と袖口、腰裾部にゴム編みがあり寒さをしのぐだけでなくアクセントになっている。
多くのポリエステルジャンバーは腰裾部や袖口がゴム編みになっているが、子供たちにとってこのゴム編みはピタッとフィットして気持ちいいのと北風が入るのを防ぐなくてはならない部分だった。
さらに、袖口のゴム編み部分で鼻をこすって、鼻水を拭いた人も多いだろう。
毛糸の編み方が粗いと伸縮性がなくすぐに伸びきってしまったし、洗濯機で洗うたびに伸びてしまうのが気になった。

左の少女は赤のトレーニングジャンバーに黄土色のパンタロンを穿く。
「トレーニングウェア」とか「スポーツウェア」という名前で売られたジャージだが、これもADIDASやasics、MIZUNOなどのスポーツメーカーが販売するジャージと、どこかの町工場が製作するトレーニングウェアに分かれ、子供たちの多くはその後者を日常の普段着として着たものだ。
家の近くの洋品店では「トレーニングジャンバー」と書かれて売られていて、なんとなくそう呼んでいるが、他の地域では「体育ジャンバー」と呼んでいたところもあったようだ。
つまりスポーツ用のジャンバーという意味だ。
一時、子供たちだけでなく先生や大人、高齢者の方までもがこの原色色とりどりのトレーニングジャンバーを着ていた。
うちの学校の校長先生もいつも緑色のものを着ていた。

でもポリエステルジャンバーと比較すると、気心地感が悪く、中綿もないので保温性が悪く、雨にも弱く、両手を入れる切込みポケットがないものが多く、あってもまともに手が入らないものが多く、よく見るとダサく、特に集合写真でみんなが着ているとすごく野暮ったく、遠足の時などみんなよくあんなもの着ていたなあと思うのだが、当時の流行はすごかった。
かわいそうなのは真冬でもトレーニングジャンバー1枚しか買ってもらえず、カーディガンやセーターの上に着て寒そうにしていた友達だ。
母親はジャンバーのつもりで着せているが、先にも述べた通り保温性がないのと、ぴったりサイズなので、重ね着ができない。
その後、ウインドジャンバーが流行ったのは、トレーニングジャンバーの上に着るためのもので、これも日常的にいつもスポーツウェアを着させようとするスポーツメーカーの策略だったのだろう。

左の少女も普段着ジャンバーとして着ていたし、右の少女は上下でピンク色のものを買ってもらって、ご自慢で着ている。

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◎教室の中でもポリエステルジャンバーを着る少女01

教室で歯磨きの練習をする少女たち
虫歯予防の日(6/4)なのかわからないが、みんな一生懸命磨いている。
前の4名の少女たちは中綿キルト入りポリエステルジャンバーのチャック全部上げで、みんな気持ちよさそうだ。
当時の教室はストーブがあっても温かさがすべて行き届かなかったり、朝の1時限目は温まっていなかったり、木造校舎だとすき間風が吹いてきたりで、教室の中でジャンバーを着るのは当たり前だった。

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★ポリエステルジャンバー大好き娘08

濃い赤の中綿キルト入りポリエステルジャンバーをチャック全部上げで嬉しそうに着る少女
刺繍などがない無地のジャンバーだが黒のゴム編みがアクセントになっている。
丈の短いジャンバーは外遊びにもってこいだった。
また少々汚しても洗濯機でジャブジャブ洗えたのがよかった。


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◎中学の遠足でポリエステルジャンバーを着る少年(昭和51年)

ウインドブレーカーやスタジャンバーが流行る前までは、中学生高校生も普通にポリエステルジャンバーを着ていた。
その後、「流行遅れ」「ダサい」「オヤジくさい」などとティーンから敬遠されるポリエステルジャンバーだったが、小学校時代にジャンバーが好きだったわんぱく男子は中学になっても小学生時代のジャンバーをちょっと窮屈になっても着たものだ。
といっても、制服や学校指定ジャージ程度しか服を買ってもらえなくなり、買ってくる服といえば自分好みでないダサい服だった。
結局母親がオヤジが着るのと同じようなポリエステルジャンバーを買ってきても、それを黙って着る少年は少なく、ファッションに目覚めた女子ともども自分がかっこいいと思うダッフルコートやGジャンバーを買ってきて、少々寒くてもそれで頑張った。

遠足で体育着の上に何か羽織ることが許される場合、普通なら左のようなジャージ上着だが、こんなポリエステルジャンバーで参加する少年もいた。いつもは制服だから着ることができないジャンバーを久しぶりに着ることができて嬉しそうだ。チャックは下3分の1だけ閉めて、少しふわっとさせる着方で、ファッションリーダーの男子がよくやっていた。

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◎ポリエステルジャンバー姿の姉が大好きだった02

母親は小さい時から姉にジャンバーをよく着せていた。
まだ僕の記憶にない頃の写真で、ツートンカラーの中綿キルト入りポリエステルジャンバーを着る姉。
胸には刺繍が付き、チャック金具は大きな水滴型だ。(右下拡大画像)
当時小さい子供用にこの大きな水滴型チャック金具が付くものが多かった。
とても触り心地がよさそうだ。
パンタロンは上部がチェックで下部が赤無地の変わったデザインだ。

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◎卒業式の日、ジャンバー姿でみんなとお別れ02(昭和50年)

田舎の小学校では卒業式近くなると進学する中学校の学ラン(制服)を買ってもらい、卒業式はもちろん少し前から着せて登校することが多かった。
特にアルバムの写真を撮影するときは、制服を着るよう指示があるケースもあった。

卒業写真で多くの男子は中学生になって着用する学ランを着ている。
でも前列でGジャンバー、そして後列ではツートンカラーの中綿キルト入りポリエステルジャンバーを温かそうに着ている。
卒業式でもこのようにジャンバーで出席した男子は本当に素晴らしい。
冬の間毎日着用したジャンバーを晴れ舞台の卒業式でも学ラン族に交じって堂々と着ているのが、小学生らしくあっぱれだ。

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◎卒業式の日、ジャンバー姿でみんなとお別れ01(昭和60年)

みなさんは小学校の卒業式に何を着たか覚えているだろうか?
さすがの僕も安ブレザーで出席した覚えがある。
男子は安ブレザーのほかに、ジャケット(Gジャンバー)やセーターが多かった。
女子は安ブレザーか、ワンピース、あるいはツーピース、セーターなどが多かったと思う。

この笑顔3人組も今日が卒業式
右側の子は茶色のオーバーを着る。
左側と中央の子はスタジャンバー着用だ。
下に着るグレーのツーピースに卒業生の目印の花が付くので、さすがに式の時は脱いでいたのだろうが、終わってスタジャンバーでみんなとお別れだ。
大きなワッペンが付き、毎日着用した思い出のジャンバーなのだろう。
女子用左ボタンだ(右前)。
左の子は既にスナップボタン全部留めだ(首元ボタンが光って見える)
卒業後は同じ中学なのか、違う学区かわからないけれど、お気に入りのジャンバー姿で学校でわいわいできるのは今日が最後。
こんな少女がとても可愛かった。

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☆ナイロンジャンバー少女16(昭和57年)

〇ブランド…ノーブランド
〇カラー…赤✖袖白3本線


ノーブランドで左袖の3本線は微妙に中間が太いナイロンジャンバー
友達のadidas正規物とは違ってダサいけれど彼女にとっては超お気に入りで満面の笑顔だ。
ツインテールに白ブラウスの上に着る赤のダサジャンバーが爽やか少女にとてもよく似合う。

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☆ナイロンジャンバー少女15(昭和57年/かずみ)

〇ブランド…adventure
〇カラー…薄桃✖袖赤3本線



まがい物のトップブランド?だった adventure
当時デパートから町の洋品屋まで広く流通していたと見えて、全国で愛用者が多かった。

男子だけでなくどちらかというと女子が赤、薄桃、白などを嬉しそうに着ていた。
いかにもバチ物だった adios や adedass と比べて adventure は言葉としてはおかしくなく
adidas がスポーツ用のウインドブレーカーとすれば、adventure はタウン用のジャンバーだった。
女子にとっては adventure は adidas と並ぶあこがれのブランドだったのだ。
そして少し光沢がありテカりが強いのと、中綿キルティングの入ったモデルがあり、
ウインドジャンバーはペラペラで寒いと敬遠していた親からも人気だった。
実際中綿入りはかなり分厚くもっこりした感じでかっこいいとは言えなかったが、十分に温かく、逆に校庭を走り回ると汗でぐっしょりとなった。

かずみ(仮名)も薄桃の adventure がお気に入り。
おかあさんと一緒に店で選ぶ際、みんなが着ている赤や紺ではなくて乙女チックな薄いピンクがいいと意見が一致。
学校に初めて着ていった日にはクラスメートからも「かずみジャンバー買ってもらったの?」「かずみのジャンバーかわいい!」と声がかかり、色が好評だった。
茶系の洋服が多かったかずみは、自分のジャンバーを褒められることなんて初めてで、着ているだけでウキウキと心が軽やかになった。
5月中旬の修学旅行でも毎日愛用。
左袖の赤3本線が adidas に比較して下の方(肘より)にあり、ちらと見える左右ポケットがやや高い位置にハの字で付くのが特徴だ。

髪量が多いかずみのトレードマークだった頭に付くパッチン(留め具)も懐かしい。


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☆ナイロンジャンバー少女14(昭和56年)

〇ブランド…ノーブランド刺繍なし
〇カラー…白✖袖紺3本線

11月になり少し肌寒くなってきて、お気に入りのナイロンジャンバーを羽織って通学だ。
友達のadidasがうらやましくて、買ってもらったジャンバー。
白の透け透けのジャンバーは女の子に大人気だった。
正規物でなくてもみんなが着ているジャンバーを、友達より早い時期から着ているのが自慢だ。
腰の紐はもともとないのか抜けたのか。
真冬もこのジャンバーだけではちょっと心細い。


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★ポリエステルジャンバー大好き娘07

赤で少し光沢のあるポリエステルジャンバーを着る少女
中綿キルト入りで触り心地も最高、袖には白い太めのラインが入る。
左胸には学校指定のビニール名札を付けていて、刺繍があるかどうかはわからない。
まだスタジャンバーが流行る前で、子供たちにとってこんなポリエステルジャンバーが冬の必需品だった。

昔はこの少女のように「天然パーマ」と言われる縮れた毛質の子がクラスに1~2人はいて、「天パー」とか言われていた(というより自分で言っていた)。
現代では微妙な表現だが、当時は笑いながら言っていたものだ。


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☆ナイロンジャンバー少女13

〇ブランド…ノーブランド刺繍なし
〇カラー…紺✖袖白3本線

本当はadidasが着たかったのに親が買ってきてくれたのはまがい物
ファッション性豊かな小学高学年の女子たちにとっては嫌嫌だったり、
友だちの真似っこではないという自尊心だったり複雑だった。
かわいそうだったのはadidasでないことでいじめにあうパターン。
「ダサい」「かっこ悪い」と言われるなら普通のジャンバーの方がいいけれど
母親にせがんで買ってもらったジャンバーだから着ないわけにもいかないし・・
この時代の少女たちはみんなそんな思いを持っていた。

左袖の3本線が真ん中だけ太さが異なる個性的なナイロンジャンバー。
胸刺繍はない。
チャック全部上げでご満悦に着ている。
裾のひもは抜けているのか最初からないのか。


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☆ナイロンジャンバー少女12

〇ブランド…adidas
〇カラー…赤✖左袖白3本線


それまであまりジャンバースタイルを好まなかった中高生女子にも一気に広まったウインドジャンバー
中高生の特に女子はファッションに敏感だからadidasやPUMAの正規物を着る率が高かった。
しかし田舎だと正規物を販売しておらず町の洋品屋で売っているのはノーブランドかadventureなどが多く親が買ってくるものを渋々着ることもあった。

赤のウインドジャンバーを自慢げに着る高校生女子
ファスナー全部上げだ。

 




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★ポリエステルジャンバー小僧06(昭和54年6年)

左胸に7のナンバーワッペンの付いたツートンカラーのポリエステルジャンバーを着る少年。
クラスのファッションリーダーで女子からも大人気だっただろう。
チャック全部上げでかっこよく決まっている。
毎日愛用のジャンバーも中学校に進学すれば制服だし体も成長するので着る機会がなくなる。
それまでこのジャンバーで思いっきり飛び跳ねて思い出作るぞ!

右の少年は流行最先端のスタジャンバーだ。
昭和54年ならば小学生でウールのスタジャンバーを着ているのはかなり珍しかった。
母親がセンス抜群だったのだろう。
初期はこのような紺✖白や赤✖白のツートンカラーのものがほとんどだった。
やや大きめだからジュニア用を買ってもらったのだろう。
中学生になってもあと1シーズンは着れそうだ。
両手を左右の切り込みポケットに突っ込んで俺のジャンバーの方がかっこいいぞと自慢しているように見える。
女子たちの評価はそれまで左のジャンバーがクラスナンバー1だったのに、右のスタジャンバーに王座を明け渡すことになったかもしれない。



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☆ナイロンジャンバー少女11(昭和57年)

〇ブランド…ノーブランド(胸刺繍なし?)
〇カラー…白✖左袖赤3本線

中学校の林間学校でのショット
学校指定の体育着が基本だがクラスのファッションリーダーはお気に入り白のナイロンジャンバーを着ている。
他の子もジャンバーを持っているけど寒くないから着ていないのか、みんなジャージの前も開けているのに、1人だけファスナ―全部上げで可愛い。
左袖赤3本線の位置からしてadidas正規物ではなく、また昭和57年だから本物ニセモノは誰でもがわかっているはず。
ニセモノでも気にすることなくこんな風に堂々と着ているこんな少女が素敵だった。
さらにこんなナップザックも超懐かしい!

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◎ポリエステルジャンバー姿の姉が大好きだった01

姉は一般的な女子が好んだセーターやカーディガンをあまり持っておらず、ジャンバーが大好きだった。
後で聞いた話だが、母が編み物で作ったセーターが色やデザインが気に食わなくて喧嘩になったのがきっかけで、セーター類を好まなくなったようだ。
だから秋の初めで朝晩がちょっと涼しい気候だと、他の子はカーディガンだけど、姉はシャツや体育着の上にジャンバーのパターンだった。
姉はシーズンに2枚は新しいジャンバーを買ってもらっていた。
秋に買ってもらうと遠足の時にデビューすることが多く、また正月に合わせて買ってもらうと初もうででデビューしてその後3学期から通学用になった。
さらに、春物が販売される2月末から3月上旬はジャンバーがバーゲン品になるので、僕のも含めて少しサイズの大きめのものを買ってもらっていた。
もちろん次のシーズンでもサイズアウトしないように考えてのことだ。

遠足の時に女子で1人だけツートンカラーのポリエステルジャンバーを着てご満悦の姉
ズボンは白のトレパンだ
僕がジャンバー好きになったのはこんな姉のおかげかもしれない。
手前には半袖体育着&短パンの男子がいてそのコントラストが面白い。

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◎姉友のジャンバー01

小学生時代の姉はいつもジャンバー姿で駆け回っていた。
当時の姉の写真にはポリエステルジャンバーを着ている友達たちがたくさんいる。

家の近所の当時12歳の少年
ポリエステルジャンバーでチャック全部上げだ。
モノクロで見にくいがお腹のファスナー周りにシミが付いている。
いつもシミの付いたジャンバーで通学していたのを覚えている。

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