忍者ブログ

<<昭和50年代の子供たちが大好きだったジャンパーの思い出>>

1970年代(昭和50年代)の小学生時代はジャンバーが大流行。 ポリエステルジャンバー/ナイロンジャンバー/ウインドブレーカー/スタジャンバー/Gジャンバーなどなど、ジャンバーのポケットに手を突っ込んで歩くのがいつも子供たちにとってかっこいいスタイルでした。 みんなが着ていたジャンバーやウインドブレーカーの思い出を語ります。皆さんはどんなジャンバーを着ていましたか?

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

☆ナイロンジャンバー少女15(昭和57年/かずみ)

〇ブランド…adventure
〇カラー…薄桃✖袖赤3本線



まがい物のトップブランド?だった adventure
当時デパートから町の洋品屋まで広く流通していたと見えて、全国で愛用者が多かった。

男子だけでなくどちらかというと女子が赤、薄桃、白などを嬉しそうに着ていた。
いかにもバチ物だった adios や adedass と比べて adventure は言葉としてはおかしくなく
adidas がスポーツ用のウインドブレーカーとすれば、adventure はタウン用のジャンバーだった。
女子にとっては adventure は adidas と並ぶあこがれのブランドだったのだ。
そして少し光沢がありテカりが強いのと、中綿キルティングの入ったモデルがあり、
ウインドジャンバーはペラペラで寒いと敬遠していた親からも人気だった。
実際中綿入りはかなり分厚くもっこりした感じでかっこいいとは言えなかったが、十分に温かく、逆に校庭を走り回ると汗でぐっしょりとなった。

かずみ(仮名)も薄桃の adventure がお気に入り。
おかあさんと一緒に店で選ぶ際、みんなが着ている赤や紺ではなくて乙女チックな薄いピンクがいいと意見が一致。
学校に初めて着ていった日にはクラスメートからも「かずみジャンバー買ってもらったの?」「かずみのジャンバーかわいい!」と声がかかり、色が好評だった。
茶系の洋服が多かったかずみは、自分のジャンバーを褒められることなんて初めてで、着ているだけでウキウキと心が軽やかになった。
5月中旬の修学旅行でも毎日愛用。
左袖の赤3本線が adidas に比較して下の方(肘より)にあり、ちらと見える左右ポケットがやや高い位置にハの字で付くのが特徴だ。

髪量が多いかずみのトレードマークだった頭に付くパッチン(留め具)も懐かしい。


拍手[9回]

PR