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<<昭和50年代の子供たちが大好きだったジャンパーの思い出>>

1970年代(昭和50年代)の小学生時代はジャンバーが大流行。 ポリエステルジャンバー/ナイロンジャンバー/ウインドブレーカー/スタジャンバー/Gジャンバーなどなど、ジャンバーのポケットに手を突っ込んで歩くのがいつも子供たちにとってかっこいいスタイルでした。 みんなが着ていたジャンバーやウインドブレーカーの思い出を語ります。皆さんはどんなジャンバーを着ていましたか?

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☆ナイロンジャンバー少女03

〇ブランド…adedass
〇カラー…赤✖白3本線
adventureと並んでまがい物の横綱が adedass だった。
adventureならともかく、adedass ってなんだよって感じだったが、こんなツヤツヤの赤を嬉しそうに着る女子をちょこちょこ見かけることができた。
ツヤがあり中綿が入っていて質感がスキーウェアっぽく、前身頃ファスナー部が広く、この写真ではわからないがファスナー最下部は裾からかなり上がったところから始まっていた。
左胸刺繍は adedass の文字の下にアンダーラインが入り(入らないものもあった)、マークは黄色の糸でデザインされていた

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★ポリエステルジャンバー大好き娘02

初期のポリエステルジャンバー(昭和46年~昭和50年頃)はツートンカラーのデザインが大流行。
その中でも男子は紺✖白(青✖白)、女子は赤✖白のパターンがなんといっても定番。
クラスに1人2人は必ずいたものだ。


赤✖白のポリエステルジャンバーを嬉しそうに着る少女。
チャックは首元まで全部上げ。
胸元に刺繍が付き、ポケット部も白くなっていてスポーティだ。

前の子はジャッシー上下を着ているが、雰囲気を見ると体育授業ではなく朝礼時の撮影か。
ジャッシーの下に丸首のアクリルハイネックシャツを着用。
名札も付けているのでジャッシーで家から通学したのだろう。
後ろの子はやはりジャッシーの上にジャンバーを着ているのだろう。
当時学校によっては体操服で通学する規則だったり、学校内では体操服に着替える決まりなどがあったようだが、体操服にジャンバーの組み合わせはいかにも昭和っぽい。

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★ポリエステルジャンバー大好き娘01

昭和50年代の子供たちの冬と言えば「ポリエステルジャンバー」無くして語れない。
定番ものは首元と袖口と腰部にゴム編みがあり、左右に切り込みポケットがあり、チャック前開きで(スナップボタンのものもあった)、裏側はキルティング中綿が入っていた。
それまでの子供の冬服は紺、黒、鼠色、臙脂(えんじ)色、濃赤、深緑といった暗い色合いが多かった。
ポリエステルジャンバーが登場すると、初期は白、ベージュ、黄土色、青、紺、赤やそれらのツートンカラーが多かったが昭和50年頃からは本当に明るくバラエティにあふれた色やデザインとなり、ファッショナブルでスポーティでかっこいい服の代名詞だった。

男女あるいは大人子供問わず基本スタイルが同じながら、色や胸のワッペンや刺繍などの違いが無数にあった。
当時の子供たちは友だちの着ているジャンバーに関心を持ったり着てみたいと思ったりしたものだった。

男子に比べると女子はブレザーやセーターなどで通学する子も多かったが、校庭を駆け回るのにはジャンバーが一番で、男子に負けず快活、活発な子はジャンバーを好んだ。

この少女は赤無地のお気に入りジャンバーを着用、チャックは全部上げ、ゴム編みは白2本線と、最もオーソドックスなデザインだ。クラスのジャンバー美少女を見るのが毎日楽しみだった。

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☆ナイロンジャンバー少女02

非正規物のなかのトップブランドはなんといってもadventure
特に女子から大人気でした。
デパートなどの女児服売り場で買えるのがadventureだったのだと思います。
親からすればadidasの必要はなく、男子兄弟がいたりソフトボールとかやらせていない限り、小学生女子の親がスポーツ用品屋には行くことはなかっただろう。

○ブランド…adventure

○カラー…赤×白3本ライン

○adventureの特徴
・左右ポケット入れ口が斜めに角度がある
・前ファスナー白い部分が広い
・前ファスナーが一番下まで付いていない。裾部から5センチ程度上から始まっている(ファスナー節約が目的?)
・スタンド襟部分がファスナーを全部上げても左右に開く(この子ではわからないが)
・中綿入りもあった(この子は見た感じ中綿なしのウインドブレーカー型)

女子でも短パン(当時はホットパンツと言っていた)穿いて、上はジャンバーで可愛いですね

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☆ナイロンジャンバー少女01

70年代の子供が着ていたウインドブレーカーと言えば、adidas又はPUMAが「正規物」と言われ、少し後にMIZUNOやChampionなども主流となった。
そんな本当の「ウインドブレーカー」はもともとスポーツ用として冬にジャージの上に着用してウオーミングアップをするというものだったが、誰が火をつけたのか昭和52年頃から子供の通学着、遊び着として一気にブームになったのだ。

合わせて男女がそれまでの子供服は、男児用・女児用とはっきり分かれていたにも関わらず、ウインドブレーカーは男女用区別はなく、サイズ種別とカラーの違いだけだった。しかも、当時は各町村にもあったスポーツ用品で、だいたい学校の指定体育着や体育館履きなどを買いに行ったものだが、そんな小さい店で取り扱いをしていたのがウインドブレーカーだった。

当時は男子服は左前右ボタン、女子服は右前左ボタンと合わせ方も異なったが、ジャンバーのチャックは基本左側に持ち手金具が付いていたから、ポリエステルジャンバーもデザインや色が異なるだけで男女ほぼ同じだったが、「男児ジャンバー」「女児ジャンバー」などと売り場は別で売られていた。
そんな意味で男子も女子もまったく同じ品番のadidas紺を着ている姿は、以前にはなかった光景だろう。


○ブランド…adidas
○左腕…白3本線
安定感のあるadidas その中でも一番人気のあった紺。小学生女子が非正規物のナイロンジャンバーを着るときは赤が圧倒的に多かったが、おしゃれ志向が高まりブランドのわかる女子中高生たちはやはりadidas紺又は白が圧倒的に多かった。
こんなチェックのシャツやオーバーオールズボンとの組み合わせも女子の人気だった。


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〇ジャンバーとの出会い①

子供のころ洋服に全く興味もなく親が買ってきて着なさいと言われたものをそのまま着ていた僕がジャンバーに強い興味を持ったのはポリエステルジャンバーとの出会いだった。

小学校入学前からチャック(と言っていましたがファスナーです)前開きの洋服がかっこよく見えて、でもチャックの開け閉めってどういう風にやるのかわからなかった。
正月に祖父母の家に行った時、小1のいとこが当時最先端?だったエンジ色のポリエステルジャンバーを着ていた。
僕はいとこのジャンバーのチャック金具(持ち手)を首元から下に思いっきり下げて、いとこが上にあげるとまた下げてみたいないたずらを繰り返した。
いとこは「やめろよ」とか「ダメ」とか言うのだが、僕は面白がって下げるのを繰り返した。
疎のジャンバーの金具は最近ではほとんど見ることのできない丸い輪だった。
指を中に入れて上げ下げできるので子供のジャンバーに多く使われていたタイプだ。
何回目かに一番下まで輪っかを下げて、はずみで金具が外れて左右が開いてしまった。
僕は一瞬チャックが壊れたのかと思った。

いとこは「あ~あ外れちゃったよ」と言い、左右の金具を顔の近くに持っていき、一生懸命はめようとしたが、まだ子供でうまくはめられなかった。
結局いとこは自分の母親のところに行き、「ねえ、やって」とせがみ、母親は「しょうがないわね。いつになったらできるようになるの。もういい加減できるようにならないと恥ずかしいわよ」みたいな言葉と共に、「ちゃんとこっち(左)を一番下まで下ろしてくっつけてはめないとダメでしょ」と言いながら元通りファスナーを閉めてあげていた。

僕はきっとぽかんとその様子を見ていた。
そして、左右の金具を一番下で合わせることで閉まるようになるんだと思った。
半ズボンの「社会の窓」のチャックとは違うんだということもわかった。
彼の母親は「この子自分でうまくできないから学校でジャンパー脱ぐと、寒くても家に帰る時は閉めないで帰ってくるのよ」と笑っていた。
僕はさらに興味が出てきて、「もう1回一番下まで下ろしちゃおう」と思った。
輪っかを掴もうとすると、いとこが「やめろよ、もう」と言い、うちの親が「やめなさい! 壊れたらどうするのよ!」と真面目に怒り出したところで諦めた。

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☆ナイロンジャンバー少年02〔adidas紺×白3本線〕

「ウインドブレーカー」という言葉を使うようになったのは中学に入ってからだった。
小学生時代は普通にジャンバーと呼んでいた。
通学路沿いにあった町の洋服屋では「ウインドジャンバー」とか「ウインドジャケット」とか張り紙をしてあったのをよく覚えている。
もちろんそこで売られているのはadidas正規物ではなく、胸にマークがないノーブランドのもので、いかにも安っぽい感じだった。
誰かが「ウインドブレーカー」という正式名称を中途半端に伝えてしまったのだろう。
僕たちの中でいつからか「ウインドジャンバー」と呼ぶようになった。
「ブレーカー」という言葉に馴染みがなく意味も分からず、なんとなく「風よけジャンバー」程度の意味で使っていたのだと思う。


小5だったか、ある日隣のクラスのN君がまさにadidasの紺、袖に白3本ラインが入ったジャンバーを着てきた。
N君は小3小4の時に同じクラスで、とにかく秋はクラスで最初にジャンバーを着てくるし、春は最後までジャンバーを着るほど、ジャンバー好きだった。
ジャンバーを着ている姿が颯爽としていてかっこよくて、女子からも人気だった。
小3の時は僕と同じスカイブルーのジャンバーを着ていたけれど、なぜか彼のジャンバーの方がかっこよく感じた。
そんな彼がある日突然ペラペラのウインドジャンバーを着てきて、休み時間に思わず見に行った。
ペラペラで触り心地が良くないし、袖口のゴムは毛糸ではなくてきつそうだし、そもそもこんなジャンバーは冬は寒くて使い物にならないだろうと思っていた。
でもN君はそれから毎日ウインドジャンバーで登校してきた。
真冬になっても変わることがなくペラペラのウインドジャンバーで、僕は寒くないのかなと聞いたことがある。
「スポーツ用だから薄くても温かいんだ…」みたいな答えが返ってきた覚えがある。


6年の春遠足はちょっと蒸し暑くてみんなジャンバー脱いでいたけど、彼は当然のことながら無理してでもウインドジャンバーを着ていた。さすがに半袖や半ズボンはいないけれど。

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☆ナイロンジャンバー少年01〔adidas紺×白3本線〕

昭和53年頃から急激に流行した adidas のウインドブレーカー
気が付いたらクラスの1/3が adidas 紺 なんてことも。
男女が全く同じデザインの服を着るようになったのもこの頃からか?
とにかくそれまでジャンバーなんて何でもよかったのに、まあ色くらいは注文付けたけど、服に目覚めたのも adidas のおかげだったかもしれない。

当時の子供たちはある日突然、それまでお気に入りだったジャンバーを脱いで「着たくない」と言い出した。
「左腕に3本線が入っているジャンバーがいい!」と騒ぎ出した。
母親にとっては意味が分からなかったに違いない。
それでも流行に敏感な親は授業参観や友達が家に遊びに来たようなときに、我が子の友達の洋服を研究しながら、真っ先に「かっこいいじゃない」と買ってきたようだ。

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