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<<昭和50年代の子供たちが大好きだったジャンパーの思い出>>

1970年代(昭和50年代)の小学生時代はジャンバーが大流行。 ポリエステルジャンバー/ナイロンジャンバー/ウインドブレーカー/スタジャンバー/Gジャンバーなどなど、ジャンバーのポケットに手を突っ込んで歩くのがいつも子供たちにとってかっこいいスタイルでした。 みんなが着ていたジャンバーやウインドブレーカーの思い出を語ります。皆さんはどんなジャンバーを着ていましたか?

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☆ナイロンジャンバー少女01

70年代の子供が着ていたウインドブレーカーと言えば、adidas又はPUMAが「正規物」と言われ、少し後にMIZUNOやChampionなども主流となった。
そんな本当の「ウインドブレーカー」はもともとスポーツ用として冬にジャージの上に着用してウオーミングアップをするというものだったが、誰が火をつけたのか昭和52年頃から子供の通学着、遊び着として一気にブームになったのだ。

合わせて男女がそれまでの子供服は、男児用・女児用とはっきり分かれていたにも関わらず、ウインドブレーカーは男女用区別はなく、サイズ種別とカラーの違いだけだった。しかも、当時は各町村にもあったスポーツ用品で、だいたい学校の指定体育着や体育館履きなどを買いに行ったものだが、そんな小さい店で取り扱いをしていたのがウインドブレーカーだった。

当時は男子服は左前右ボタン、女子服は右前左ボタンと合わせ方も異なったが、ジャンバーのチャックは基本左側に持ち手金具が付いていたから、ポリエステルジャンバーもデザインや色が異なるだけで男女ほぼ同じだったが、「男児ジャンバー」「女児ジャンバー」などと売り場は別で売られていた。
そんな意味で男子も女子もまったく同じ品番のadidas紺を着ている姿は、以前にはなかった光景だろう。


○ブランド…adidas
○左腕…白3本線
安定感のあるadidas その中でも一番人気のあった紺。小学生女子が非正規物のナイロンジャンバーを着るときは赤が圧倒的に多かったが、おしゃれ志向が高まりブランドのわかる女子中高生たちはやはりadidas紺又は白が圧倒的に多かった。
こんなチェックのシャツやオーバーオールズボンとの組み合わせも女子の人気だった。


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