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<<昭和50年代の子供たちが大好きだったジャンパーの思い出>>

1970年代(昭和50年代)の小学生時代はジャンバーが大流行。 ポリエステルジャンバー/ナイロンジャンバー/ウインドブレーカー/スタジャンバー/Gジャンバーなどなど、ジャンバーのポケットに手を突っ込んで歩くのがいつも子供たちにとってかっこいいスタイルでした。 みんなが着ていたジャンバーやウインドブレーカーの思い出を語ります。皆さんはどんなジャンバーを着ていましたか?

☆ナイロンジャンバー少年02〔adidas紺×白3本線〕

「ウインドブレーカー」という言葉を使うようになったのは中学に入ってからだった。
小学生時代は普通にジャンバーと呼んでいた。
通学路沿いにあった町の洋服屋では「ウインドジャンバー」とか「ウインドジャケット」とか張り紙をしてあったのをよく覚えている。
もちろんそこで売られているのはadidas正規物ではなく、胸にマークがないノーブランドのもので、いかにも安っぽい感じだった。
誰かが「ウインドブレーカー」という正式名称を中途半端に伝えてしまったのだろう。
僕たちの中でいつからか「ウインドジャンバー」と呼ぶようになった。
「ブレーカー」という言葉に馴染みがなく意味も分からず、なんとなく「風よけジャンバー」程度の意味で使っていたのだと思う。


小5だったか、ある日隣のクラスのN君がまさにadidasの紺、袖に白3本ラインが入ったジャンバーを着てきた。
N君は小3小4の時に同じクラスで、とにかく秋はクラスで最初にジャンバーを着てくるし、春は最後までジャンバーを着るほど、ジャンバー好きだった。
ジャンバーを着ている姿が颯爽としていてかっこよくて、女子からも人気だった。
小3の時は僕と同じスカイブルーのジャンバーを着ていたけれど、なぜか彼のジャンバーの方がかっこよく感じた。
そんな彼がある日突然ペラペラのウインドジャンバーを着てきて、休み時間に思わず見に行った。
ペラペラで触り心地が良くないし、袖口のゴムは毛糸ではなくてきつそうだし、そもそもこんなジャンバーは冬は寒くて使い物にならないだろうと思っていた。
でもN君はそれから毎日ウインドジャンバーで登校してきた。
真冬になっても変わることがなくペラペラのウインドジャンバーで、僕は寒くないのかなと聞いたことがある。
「スポーツ用だから薄くても温かいんだ…」みたいな答えが返ってきた覚えがある。


6年の春遠足はちょっと蒸し暑くてみんなジャンバー脱いでいたけど、彼は当然のことながら無理してでもウインドジャンバーを着ていた。さすがに半袖や半ズボンはいないけれど。

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