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<<昭和50年代の子供たちが大好きだったジャンパーの思い出>>

1970年代(昭和50年代)の小学生時代はジャンバーが大流行。 ポリエステルジャンバー/ナイロンジャンバー/ウインドブレーカー/スタジャンバー/Gジャンバーなどなど、ジャンバーのポケットに手を突っ込んで歩くのがいつも子供たちにとってかっこいいスタイルでした。 みんなが着ていたジャンバーやウインドブレーカーの思い出を語ります。皆さんはどんなジャンバーを着ていましたか?

〇ジャンバーとの出会い①

子供のころ洋服に全く興味もなく親が買ってきて着なさいと言われたものをそのまま着ていた僕がジャンバーに強い興味を持ったのはポリエステルジャンバーとの出会いだった。

小学校入学前からチャック(と言っていましたがファスナーです)前開きの洋服がかっこよく見えて、でもチャックの開け閉めってどういう風にやるのかわからなかった。
正月に祖父母の家に行った時、小1のいとこが当時最先端?だったエンジ色のポリエステルジャンバーを着ていた。
僕はいとこのジャンバーのチャック金具(持ち手)を首元から下に思いっきり下げて、いとこが上にあげるとまた下げてみたいないたずらを繰り返した。
いとこは「やめろよ」とか「ダメ」とか言うのだが、僕は面白がって下げるのを繰り返した。
疎のジャンバーの金具は最近ではほとんど見ることのできない丸い輪だった。
指を中に入れて上げ下げできるので子供のジャンバーに多く使われていたタイプだ。
何回目かに一番下まで輪っかを下げて、はずみで金具が外れて左右が開いてしまった。
僕は一瞬チャックが壊れたのかと思った。

いとこは「あ~あ外れちゃったよ」と言い、左右の金具を顔の近くに持っていき、一生懸命はめようとしたが、まだ子供でうまくはめられなかった。
結局いとこは自分の母親のところに行き、「ねえ、やって」とせがみ、母親は「しょうがないわね。いつになったらできるようになるの。もういい加減できるようにならないと恥ずかしいわよ」みたいな言葉と共に、「ちゃんとこっち(左)を一番下まで下ろしてくっつけてはめないとダメでしょ」と言いながら元通りファスナーを閉めてあげていた。

僕はきっとぽかんとその様子を見ていた。
そして、左右の金具を一番下で合わせることで閉まるようになるんだと思った。
半ズボンの「社会の窓」のチャックとは違うんだということもわかった。
彼の母親は「この子自分でうまくできないから学校でジャンパー脱ぐと、寒くても家に帰る時は閉めないで帰ってくるのよ」と笑っていた。
僕はさらに興味が出てきて、「もう1回一番下まで下ろしちゃおう」と思った。
輪っかを掴もうとすると、いとこが「やめろよ、もう」と言い、うちの親が「やめなさい! 壊れたらどうするのよ!」と真面目に怒り出したところで諦めた。

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