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<<昭和50年代の子供たちが大好きだったジャンパーの思い出>>

1970年代(昭和50年代)の小学生時代はジャンバーが大流行。 ポリエステルジャンバー/ナイロンジャンバー/ウインドブレーカー/スタジャンバー/Gジャンバーなどなど、ジャンバーのポケットに手を突っ込んで歩くのがいつも子供たちにとってかっこいいスタイルでした。 みんなが着ていたジャンバーやウインドブレーカーの思い出を語ります。皆さんはどんなジャンバーを着ていましたか?

▼スタジャンバー大好き少女01

「スタジアムジャンバー」はアメリカの大学生たちの野球やフットボールなどのクラブでデザインして着ていたのが発祥らしい。
チームのイニシャルワッペンやナンバリングワッペンなどを付けて、自慢げに着ていたのだろう。
そして、野球チームがユニフォームの上に羽織る用にできたのがグランドジャンバーで、ナイロンなどの̠化繊で袖部や腰部はゴム編み、スポーツしながらでも破損しにくいスナップボタンが主流だった。
日本のプロ野球でも肌寒い試合のナイターを中心に、投手は投げていないときにいつも着ているのが「グランドジャンバー」だった。
その後、「グランドジャンバー」という言葉は死語になり、「ウインドブレーカー」又は「スタジャン」と言われるようになった。

そんなグランドジャンバーの中で、特に女子が好んだのが、黄金時の西武ライオンズのジャンバーだった。
東京・埼玉を中心に春秋の肌寒い日にこのライオンズカラーのグランドジャンバーを颯爽と着る子がいたものだ。
さわやかなスカイブルーにゴム編み部分は赤・青・緑の3本線が入り、胸にはお決まりの獅子のワッペンが付いていた。
既に昭和60年代前半になると、adidasやもどきのいわゆる3本線ウインドジャンバーが古臭くなってきて、敏感な女子はこんなファッショナブルなスタジャンバー型を好んだのだ。

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